宝くじを買ったことはありますか?毎年楽しみに買っている!という方もいるでしょうし、一度も買ったことがないという方もいるでしょう。
そんな方でも「宝くじ」という言葉を聞いたことがないという人はいないのではないでしょうか?
CMでも多く宣伝を見かけますし、発売所もスーパーなど、私たちが立ち寄る身近な場所で販売をしています。
どうしてこんなに身近な存在になったのか、私たちの生活に溶け込んでいるのか、本記事では今では当たり前となっている宝くじについて、その成り立ちや当選金額の移り変わりについてまとめました。

くじの歴史について詳しく書いているので、お勉強する気持ちで読んでください!
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宝くじ《はじまりのストーリー》を時代別にご紹介

約2000年前ローマ時代に世界最初の「くじ」が誕生しました。
しかし、今のような報酬的受領が得られる「富くじ」の誕生はそのずっと後の時代、15世紀半ばオランダにて発行されたとされています。
これは、町の建設や城などを守る要塞の建築のための資金源とされていたようです。
日本のくじのはじまり
日本における宝くじの始まりは江戸時代初期 寛永元年(1624年)※の頃に流通していた富くじとされています。
現在の大阪府である摂津国(せっつのくに)の箕面山龍安寺(みのおさんりゅうあんじ)にて行われたくじで、正月の元旦から7日までに参詣した人々が、自分の名前を木札に書き、箱の中にいれておきます。
最終日にその箱の中から、寺僧が3人の「当せん者」を選びだし、福運の「お守り」を授けるというものでした。※所説あり
金銭的くじの始まり
箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)の富会 (とみえ) では、お守りを貰えるだけでしたが、その後は次第に金銭の受け渡しが始まり、富くじとして町に浸透するようになりました。
その流行は元禄5年(1692年)当時の徳川幕府は禁令を出したほどでした。
しかし政府と寺院での癒着が横行していた時代ですから、寺社にだけには修復費用調達という名目で富くじを許容していました。
これを天下御免の富くじ「御免富」(ごめんとみ)と呼びました。
富くじの禁止
1833年から1839年の間では度重なる凶作による飢餓が発生します。
(天保の飢饉)作物の凶作による貧困や、物資不足による物価高騰により、地方だけでなく、江屋中心部でも飢え死にする人が後を絶たない大惨事でした。
これを受けて1839年水野忠邦が老中首座となり、幕府の権威を取り戻すことと、財政の立て直し、物価の抑制のために天保の改革を行いました。
天保の改革に伴い、幕府が公認していた御免富も天保13年(1842年)に禁止され、明治になってからも、様々な世界情勢の影響もあり、明治元年(1808年)の太政官布告によって厳格な禁じを受けていました。
つまり天保の禁令以来、富くじ発売禁止の103年間が日本には存在していたわけです。
富くじの復活
世界各地で戦争が勃発し、相次ぐ戦争で資金難に陥っていた日本は、昭和20年7月、軍事資金調達を目的とし、1枚10円で1等10万円が当たる富くじ「勝札(かちふだ)」を発売しました。
しかし、抽せん発表日を待たず日本は敗戦してしまったため人々は「負け札(まけふだ)」と呼んでいたそうです。(8月25日に抽せんを実施)
戦後、日本を待ち受けていたのは激しいインフレでした。
浮動購買力を吸収し、インフレを防止するため同じ年の10月に政府は、「宝くじ」という名で政府第1回宝戦を販売します。
また財政難に陥っていた日本は、戦争で被災した地域の復興資金を捻出することができずにいました。
そこで各都道府県が独自で宝くじを発売できることとし、昭和21年12月に地方宝くじ第1号「福井県復興宝籤」(別名「ふくふく』)が販売されました。
その後は政府宝くじは昭和29年に廃止、地方自治体が独白または共同で発売する自治宝くじだけが販売されるようになったのです。
なお自治宝くじと政府宝くじがどちらも発売されていた昭和28年度までは、それぞれ区別する意味で自治宝くじを“地方宝くじ”と呼んでいました。
全国自治宝くじの誕生
昭和29年12月全国自治宝くじが作られます。
その頃には戦後の経済復興も進んでおり、人々の購買意欲も高まっていたことから、各地域における宝くじ連合の動きも加速し、昭和34年4月までに現在のような5つの形ができました。

オリンピック開催に伴う宝くじの普及

昭和30年代後半、日本はオリンピックブーム絶頂を迎えます。
東京オリンピックまでの5年間、宝くじにはオリンピックマークを入れ発売をしました。
これによって宝くじ普及に拍車がかかりました。
資金に余裕が生まれた連合は、最高賞金の値上げをし、さらに購入者の購買意欲を高めていきます。
「最高賞金金額」
昭和40年:700万円
昭和41年:800万円
昭和43年:1,000万円
こうなってくると夢も膨らみますよね。
売り場には多くの人の列ができはじめ、発売した宝くじが年度を通じて売れ残りゼロを初めて記録しました。

今とは通貨の価値が違うので、当時としては相当な大金が手に入ったんですね!
さらなる宝くじの普及
その後、多くの国家行事が日本では開催されていきます。
日本万国博覧会、札幌冬季オリンピック、沖縄海洋博覧会などなど…こういった行事にただ乗っかるだけでなく、協賛する宝くじも発売されはじめ、宝くじの人気はますますヒートアップしていきます。
このような状況の中、売り場には長蛇の列ができることが当たり前となっていきました。
そこで予約制度とユニット制度を導入しました。
ユニット制度とは一定の発売枚数を1ユニットとし、予約申し込みの状況に応じてユニット数を増減させるものです。
こうして人々が宝くじを買いやすい体制が整い、結果としてさらに多くの販売額をたたき出していきます。
昭和42年には毎年9月2日を「宝くじの日」と決めました。
ジャンボ宝くじ誕生と当選金の高騰
マスコミが大型宝くじに ジャンボという言葉を使用したことから、ジャンボという名称が定着し、年3回発売されるようになった予約制の宝くじ(サマー・ドリーム・年末)は、ジャンボ宝くじと呼ばれるようになりました。
昭和55年の「ドリームジャンボ宝くじ」(第158回全国自治)では1等賞金3,000万円となり、ドリーム・サマー・年末の3大ジャンボ時代が始まりました。
ジャンボ時代の到来とともに宝くじの購買はますます増加し、伴って賞金はさらなる高額化を示していきます。
昭和60年:1等賞金5,000万円、1等・前後賞合わせて7,000万円
平成元年:1等賞金6,000万円、1等・前後賞合わせて1億円
平成に入り、最高賞金はついに億の世界に突入していったのです。
[ロト6 ロト7 ミニロト]など…多様化していく宝くじ

ジャンボ宝くじの登場により宝くじの認知度は計り知れないものとなりました。
昭和50年代以降には様々なニーズに対応して新しいタイプの宝くじの登場する時代になっていきます。
当選条件では当せん確率の高さが魅力の宝くじや車や旅行を賞品とする宝くじなどが販売されました。
またインスタントくじ、イベント宝くじ、数字選択式宝くじ(ロト6、ナンバーズなど)といった新しい種類の宝くじも誕生しました。
その後は、震災に対する復興を目的とした宝くじも多く販売されています。収益金の一部が被災地支援に役立てられました。
さらに平成10年に行われた宝くじの法律「当せん金付証票法」の改正により賞金の大型化がすすみました。
平成11年5月「ドリームジャンボ宝くじ」:1等2億円、1等・前後賞合わせて3億円
平成12年に登場した「ロト6」: キャリーオーバーの発生で最高賞金4億円
平成13年9月「オータムジャンボ宝くじ」:1等・前後賞合わせて2億円
平成24年2月「東日本大震災復興支援グリーンジャンボ宝くじ」:1等3億円、1等・前後賞合わせて5億円
平成24年7月「サマージャンボ宝くじ」:1等賞金4億円
平成25年「年末ジャンボ宝くじ」:5億円
平成27年「年末ジャンボ宝くじ」:1等7億円、1等・前後賞合わせて10億円
平成27年にはとうとう10億円という大台にのっています。

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